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8月, 2023の投稿を表示しています
 居候17日目。きょうは一日のほとんどを寝て過ごした。1週間に一回の頻度でこんな日がある気がする。疲れるようなことはほとんどしてないはずなんだけど。 長い昼寝から目が覚めて共有スペースに降りると、住人のひとりが「薬の影響か?」と真剣な声でいう。「こんなに寝てるのおかしいもん。寝るなって意味じゃないで」その通りだ。怒られても仕方ないとぼくは思うけど(だって寝てる間、洗濯や風光の散歩や掃除や買い物をほかの住人に任せてるわけだから)、住人は怒らずにぼくの体調を心配する。「最近すぐ、疲れた、ねむいって言ってるよ」と。実のところ、1ヶ月ぐらい前から、住人たちと過ごすときにできるだけがんばらないようにしようとおもって、限界がくる前にちゃんと「疲れた」と言うようにしていた。でもそれを除いても確かに、一日中眠ってる日の頻度が高くなった気がする。そんな日は起きてもまだ眠いのだ。薬は、6月からストラテラを一錠増やしていた。 海洋放出がはじまって、じわ、じわと無気力のインクが身体中に広がって戻らない。もういやだ、と叫ぶまもなく沈んでいく。
 居候16日目。シャワーしてると学校やひとから投げかけられた言葉、それらへの憎しみで頭がいっぱいになった。映画の同時視聴は途中で抜けた。今朝のことを思い出せない。どんな散歩道を歩いたっけ。いま思い浮かべてる風光の後ろ姿はきょうのじゃない。ねばねばした手で過去に引っ張られる。こうなったらどうするか、前から考えておけばよかった。こんど考えようかな。からだにうつったねばねばが布団にひっついて動けない。布団だからまだいいか。
 居候15日目。 わたし以外の住人3人と食事したあとに、わたしひとりだけスイカを食べた。いらないと言われたら、遠慮してると思い込んで無理に押し付けずに、いるならいつでも言ってね、と言うことがたいせつなんだな。 風光は散歩の帰りに、家の近くの空き地でボール遊びをしようと誘ってくる。家のなかではほとんど寝てるけど、風光は走ったり登ったりするのがすきな犬だ。温暖化のせいで(それはここまで環境破壊を見過ごしてきた企業、国家、わたし、ひとびとのせいで)夜になっても気温が25度を超えてる。選択は習慣に支配されている。絶対でない消費行動をみつけては立ち止まりたい。これ以上、誰の権利も奪わず、また奪われないために。 夕方。空のあちこちで雲が立ち上がる。日本手話の「月」のような形の月。柿の種のピーナッツじゃないほうみたいな形の月が、途中で雲の色を変え、跳ね返り、蚊の脚を爪先まで照らし、わたしの産毛にあたり、跳ね返り、風光の踵にふれ、みえなくなるまで跳ね返る。
 居候14日目。きのうの日記で書いた『VIVANT』を6話まで観た。Discordサーバーでいっしょに映画を観ているひとや、友人には勧められないドラマだ。堺雅人の演技は良い。でも良いのがつらい。堺雅人がどんな役柄を演じているのかは、ネタバレになるからここではいえない。あのドラマはどうなるのだろう。国粋主義にのっとられた人々の暴力を「冒険」として描いて終わるのだろうか。 政府が処理汚染水の海洋放出を漁連や被災地区の同意なく決定したという報道をみた。まさか強行されるとは思ってなかったので反対を表明するのが遅れていた。政府と東電がここまで処理汚染水の海洋放出を焦るのはなぜだ?
 居候13日目。きのうの墓参りと親戚づきあいで浴びた眼差しが一晩でぬけた。友人のおまじないと、居候先の環境と住人のおかげだ。 怖そうなのとめんどうなのと気分じゃないのとで先延ばしにしていたTBSドラマ『VIVANT』を一気に3話までみた。ところどころ、いや全体的に国家権力への無批判さが目立つし警察賛美だし、テロへの一面的な見立てしかない(これはまだ序盤だからかもしれない)。そしてニッポンジンを有能で文化的な人間として描くのに対して、白人とニッポンジンと警察以外のヒトは「やさしくて従順」か「金目当ての愚者」のどちらかだ。酷い。
 居候12日目。今日の夕方に墓参りに行くと昨日から聞いていたので、体力温存のために15時までだいたい寝て過ごした。 墓参りに行くということは、居候先の住人の親にも会うということだ。あのひとたちは会うたびに、おれに「いま何してる」と訊く。何度も訊かれてきたので、その言葉で「仕事をしているのか、しているとしたらどんな仕事なのか」を訊かれてるのだとわかる。きょうはその質問に居候先の住人にもらった助言の通りに答えた。うそをつくとつらくなるおれのためを思ってか、うそにならないような答えを住人は考えてくれた。それでも訊かれること自体がいやだった。おれより年下のいとこが、どっかからのスカウトを断って第一志望先に就職したという話が聞こえる。スイカを買ってきたよ、と言われると腕をあげて喜んでしまう。どんな役割も被りたくない、スイカも捨てて逃げたい。やっぱりスイカは持っていってもいい。 外で夕ご飯を食べて、家へと運ばれる車のなかで、空に月を見つけた。車を運転している住人が月を見て「朧月どころじゃない」という。わたしが「かすかすやね」と同調すると、「掠れ月」と聞こえた。オレンジ色の蛍光ペンをぬったような色の掠れ月は名前をつけられるとすぐに雲をはがして、くっきりとしてしまった。
 居候11日目。 どんどん、居候先の住人の、ほかの住人への言動が強くなっているのを感じる。 居候先にはヒト型の生きものが4〜5体、イヌ型の生きものが1体住んでいる。それぞれの名前を使わないようにこの日記を書こうとすると、書きながら自分も混乱してしまう。それで、この日記のなかだけでそれぞれを呼ぶ名前をつけようかと思ったけど、書きやすくしないほうが個人を特定されなくてよいかもしれないから、このままにする。 居候先の住人と、うちわで白い風船を弾いて遊んだ。風船が体や顔にあたったところで痛くないのはわかってるのに、自分の顔くらいおおきな丸いのが飛んでくると、びっくりして、風船を打ち返すのが遅れる。 そういえばきのうは、うちわで卓球をした。 夕方、住人のひとりと、風光と、わたしで、サンセットビーチへ散歩しに行った。サンセットビーチの砂浜に散る貝殻は須磨よりも淡路よりも細かい。青い鉄のような色の海水は穏やかで、砂に映った光が波におくれてひいていく。太陽は海に浸かり始めたらすぐに、頭まで潜ってみえなくなった。夕日を撮りに来たひとたちが、砂浜に足跡をつけて帰る。
 居候10日目。 名前を呼ぶ声で目が覚めた。わたしのだとは思えないけど、居候先の住人がわたしを呼ぶときに使う名前だ。窓の外も時計もみない。たぶん夕方だ。お昼ごろ、わたしを起こした人と夕方に買い物に行く約束をしてたから。 階段を降りていくと、「ぽっぽちゃん、待ってたよ」と言われる。さっきわたしを呼んだ名前とは別の名前。住人はたまに、わたしを「ぽっぽちゃん」という。どういうときにそう呼ばれるかはわかってないけど、住人の機嫌を知ろうとするのをやめたいから、わかりたいとも思わない。 住人がわたしに、きょうは2つのお店に行くと言う。わたしがお昼に、「あちこち買い物に行くのはいやだ。せめて3つまでがいい」と伝えたからだ。わたしを安心させようとしてくれてる。ほっとして、住人ふたりと買い物に行く緊張が和らぐ。 スーパーで、買い物カートを右手で押しながら、住人は左手でわたしの右手を握っていた。 薬局で、アイスを買って店内を「競歩」で走る住人を、走っちゃだめだよといって追いかけた。 濃くて優しくはない夕暮れ空を指すと、住人は「茜空だね」とわたしに言った。 赤信号で停車中、全開にした車の窓から、「きょうのぼくの家はハンバーグだよ」と言った。住人は「きこえるよ」と笑いながら言ったけど、心からうれしそうに笑ってるようには聞こえなくて、ほっとした。
 居候9日目。Discordで知り合ったユーザーの、短歌を読ませてもらう。長い感想文を書いた。居候先の住人とたくさん会話した。くたくただ。雨が突然降っては止んで、昼寝の近くに、雷がごろごろ鳴り続けていた。
 居候8日目。きょうは楽しみにしてた、『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』の同時視聴会だった! 最近よく参加してるDiscordサーバーで、スターウォーズの映画を公開順に観る企画があって、それに参加しているのだ。前回のエピソード4を面白いと感じなかったから、今回も眠たくなってしまうかなと思ってたけど、エピソード5は冒頭の映像がきれいだったのと、ずっとピンチが続くのとで最後までヒィヒィ言いながら観ることができた。 同時視聴会がだいすきだ。ボイスチャットで、怖いとかいやだとか今それどころじゃないだろとかなんか急にロマンスになったとか言いながら、お互いの苦手な場面が予見できるときはそれをおしえあったり、映画が終わった後、劇中曲をばらばらに口ずさんだりするのが、気楽でたのしい。あの曲が「スター・ウォーズのテーマ」なのはこのあいだの会で知ったし、「帝国のマーチ」もきょう、初めて聴けた。 他の住人に強い口調で話す居候先の住人が、ぼくが呼びかけるといつも、やさしくて、あまい返事をするのが、怖くて、今朝「ほんとに笑ってるの?」と訊いたら、「ほんとだよ。だってももに怒ることひとつもないもん」と返ってきた。目の前で目を細めながら。ぼくはそう言われたら、そう思うしかない、と思いながら、そう思うことで自分を安全なところに逃がそうとしてる、自分に気がついていた。
 居候7日目。居候先の住人が、大貫妙子の「ピーターラビットとわたし」と「テディ・ベア」を聴かせてくれた。住人は住人のテディベアを抱きながら、床に仰向けになっているわたしをみて笑っていた。わたしも愉しくて笑った。けらけら、風光が横目で踊るテディベアをみていた。曲の終わり、顔のうえにテディベアがふってきた。 こんなにゆっくりと進む台風ははじめてだ。
 居候6日目。神戸から持ってきたpha著作の本を2冊とも読み終えてしまった。これでphaという人が書いた本を3冊読み終えたことになる。どれも、読んでてプレッシャーを感じない文章なのが助かった。現状を変えなければならない、もっと違うことを考えなければならない、人に会わなければならない、そういったものをなにひとつ受け取らなかった。1ヶ月ぐらい前、いまよりもっと落ち込んでいたときにも、phaの文章は読めた。『ニートの歩き方』では「ひとりだち」せずに他者となんとなく支え合ってなんとか歩いたり、歩くのもやめてとりあえず寝る場所をつくる生活の仕方を提示してもらった。『がんばらない練習』を読んでるとき、わたしは自分のいやなところをみつけることに体力を吸われていたが、同じように己のだめなところを生活の節々からみつけてはつまんでながめるphaの文章が枕元にあるだけで、かなり救われた。淡々と落ち込むことができた。『ひきこもらない』では知らない人の外出を想像をさせてもらえた。読んでる間、外に出たい、外に出なきゃと思わされることはなかった。 また神戸に戻ったら図書館に本を返して、まだ読んでないphaの本を借りてこよう。
 居候5日目。朝、シャワーをしてから風光の散歩に出て、汗だくになる。春ねむりさんの春火燎原ツアーTシャツと腹の間をずっと冷たい汗が流れる。汗じゃないみたいにさらさらで、そんなにいやじゃない。 9時から13時ぐらいまで二度寝して、リビングにいる風光と住人にあいさつをして、また18時半まで眠った。昼ご飯を食べなかったぶん、夜ご飯はおかわりをしてやった。水分を吸ってふくらんだきゅうりの漬物がおいしかった。 きのうのカラオケで、住人のひとりが持ってきた着替えや上着を、わたしにたくさんかけてくれたのがうれしかった。 風光が頭の横で寝ている。
 居候4日目。朝6時半ごろ、目が覚めて風光と散歩に行く。日陰にいると涼しくてまだまだ散歩できそうな気になってしまうけど、刻々と日向は拡がっているし、日差しは痛みを増していくから、30分ほどで帰る。庭で芝生を食べる風光に少しだけ付き合った。ほんとはもっと、風光と風を感じていたい。風光がいろんな匂いを嗅いで、腹を冷たい土や草にひっつけさせてあげたい。それをみていたい。 9時45分まで二度寝した。10時からDiscordのサーバーのユーザーたちと『スターウォーズ 帝国の逆襲』を観る約束をしてたから起きたけど、予定を変更して夜から観ることになった(でもそれも延長になった)。シンプソンズを2話ほどみて、居候先の住人と『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』を観る。 疲れた。まだカラオケボックスにいる。住人たちに連れられてカラオケに来たのだが、もう4時間経っている。「眠い」と言ったら「寝とき」と、ペットボトルで枕を作ってくれた。たまに口にソフトクリームを運んでくれる。5年前だったらこんなことしてもらえなかった。わたしも「眠い」なんて言えなかった。いまはまだ「帰りたい」って言えないけど、もしかしてまた5年経ったら「疲れた」って言えるようになって、10年経ったら「帰りたい」って言えるようになるかな。 インターネットで「カラオケ疲れた帰りたい」と言いまくったら、言葉や絵文字で労りのメッセージがもらえた。知り合いが作ったトートバッグに読めない文字が書かれていたので意味を聞いたら「中国語でインターネットやめろって書いてある」と言われたので、「絶対やめねえ」と返した。ミームなんだろうけどいやなもんはいやだから反発せざるを得ない。絶対なんてあんまり言いたくないんだけど、強い拒絶を示すために最近よく使ってしまうな。 風光は家で寝てるだろうな。風光と寝たい。
 居候3日目。風光の散歩に朝夕といった。 きょうは花火大会で、人も車も多かった。花火大会に向かう人々と逆向きに走って、コンビニから家に帰った。家に着いたときにはもう爆音が鳴り始めていて、風光が慌ててケージの中をうろうろしていた。わたしもうろうろソファのまわりにスマホやテレビのリモコンやスポーツドリンクを用意して、ケージを開けて風光を呼ぶと、風光は膝のうえどころかわたしの肩のうえにのぼってこようとする。どんどんと音が鳴るたび、これ以上ないくらい体の側面のわたしのからだにぴたりとつけて、うえへうえへのぼろうとする。花火大会はだめだ。風光が怖がるし、あたりは車だらけで夕方の散歩は危険だし。 昼寝をしたら怖い夢をみたけど、そのなかでひとに助けてもらった。ひとはわたしに「なにかあったらわたしのことも助けてね」と言って、わたしはもちろんだよ、と答えた。
居候2日目。 きょうは朝夕とも、同居人が風光の散歩をした。わたしはただ、散歩から帰ってきた風光に、蛇口を捻ってぬるい水を出し切ってから、冷たくなった水を器のようにした手で飲ませる役割をつとめた。冬は少しつらい役目だけど、夏はむしろ手のひらを冷やせるから気持ちいい。ただ、どんな気候でも、わたしの手のひらで受けていた水を、だいすきな生きものに、舌ですくって飲んでもらえるのは、しあわせなことだ。すぐそばで必要なものを与えられている喜び。この気持ちには何か名前がついていそうだけど、いまそれを探す気はない。 同居人たちとそうめんを2束ずつ食べた。 同居人は食後、しあわせだといって泣いた。そのひとが「ずっとみんないっしょがいい、それがぼくにとっていちばんしあわせなの」という言葉は何度も聞いてきたけど、これまでと違ったのは、同居人が泣きながらも「あなたのすきにしたらいいんだよ」と、何度も言ってくれたことだった。 そのおかげか、実際にわたしが同居人の望む「みんないっしょ」の状態から離れた暮らしを手に入れたからかはわからないけど、わたしもこれまでと違って、「いっしょがいい、さみしい」と泣く姿に怒りや罪悪感を感じることなく、ただそばに座っていることができた。そうなんだね、とただ聞いていられた。きのうみた『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』の影響もあるかもしれない。 中学校から高校まで、支えにしていた教員から1年ぶりぐらいに連絡がきた。その頃と違う呼び方で返事をしたわたしのメッセージを訂正するように、わざわざ過去わたしが読んでいた呼び方を一人称にして話すそのひとの強さがあいかわらずで、困りながらも懐かしさを感じた。このひとは数年前、「中学校という場所が怖くて行けない」と言ったわたしの言葉を知ったうえで、「いつでも遊びにきて」なんて言ってるのかな。 相手がどういうつもりで言ったかなんて普段はあまり考えない。考えるときはたいてい、他者の持つわたしのイメージが、わたしのもつ自己像とは離れたところで固定されてるように感じるときだ。 わたしはもう生徒じゃない。そして教え子でもない。
 居候一日目を終えた。久しぶりに訪れた家のリビングは、海のさまざまな青さを表現する布の色で飾られていた。それを説明してくれるそのひとが、それを選択して行動して、その空間にそのひとがいること、わたしもそのなかにいることを、わたしは心から幸福で、幸運なことだと思った。 車の中でも家の中でも、鼻水やくしゃみが頻繁に出る。さらさらとした透明な鼻水だから、なんらかのアレルギー症状だろう。ほこりか、犬だな。明日、まず部屋の掃除をしたほうがよさそうだ。 Discordのあるサーバーで『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』の同時視聴をした。このブログは日記だからネタバレを気にせず書きたい気持ちもあるけど、でも黙っておきたい気もする。物語の内容についてはわたしは今後も積極的に人から聞いたりネットで調べたりするだろうけど、演出や語りの手法については今後はあまりネタバレを聞かないようにしようかな(jumpscareと呼ばれる、突然視聴者を驚かせるようなものや、暴力シーンの有無はあらかじめ知っておきたいけど)。とにかく今回の語りには、うれしく驚かされた。映画を観終わったいまでも、興奮が続いている。観てよかった。おれも困惑を逆手に取ってやる。 2階の部屋にあがる前、風光が目を丸く、口を固く結んで、こちらを見ていたのが気になる。どうしたんだろう。長距離移動できっと疲れてるはずだし、ケージに入れるまで眠ってたから、もう相当眠たいはずなんだけどな。様子を見にいこうか、少し迷う。