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「ああ、また夜だ! きのうも西日をみたな、あしたも? そういえば、きのうは夜をみたかな。図書館のおおきな窓をみた。ばつぐんに明るくて、ちょっとうらやましくなっちゃった。そうだ、おとといは星をみた。真下からみているみたいで、やになったけど」 神経過敏と正直は、三階のベランダを気にいっている。軽音部の音に耳をすませたり、こちらから歌ってやったり、するのだ。「インナージャーニー」と「稲穂」と「それでも夜は星を連れて」。先生がわたしをみあげ、黄昏てる?と聞いた。
黒々とした道で、『LIFE』を聴いた。三月の乾いた風だとおもっていたものは、案外しっとり晴れた夜の風でもあった。わたしはそれを許して、走ったり、跳ねたり、ステップをふんだり、ターンをしたり、顔を上げたり、するのだった。
暗く、ひんやりとして、清潔な早朝は、夜まで続いていた。だから、雨のなかを笑って駆けたり、水たまりを7つ踏んづけたり、インナージャーニーを、大きな声で歌ったりした! 旅に出よう、旅に出よう、旅に出よう。 たっぷり泣いたあとは、ねむたくなる。いかなきゃ、果ては、るうりら。とぅとぅとぅ。
もし、なにかに腹のたつことがあったなら、頭のなかや、ひとりの部屋のなかで、わたしのことを、殴ったり、めちゃくちゃに言ったり、切ったり、貼ったり、していいよ。みんなの記憶にいる、わたしは、みんなのものなんだ。平気だよ。そいつは、意地っぱりでも、泣き虫でもないし、痣をつくったり、告げ口することだって、ないんだ。 昼、ベンチで、本を借りるために、本をよんだ。ふるい熱が、はだかの手の甲を貫いたとき。大学は、楽園だった。本は作品じゃないし、靴下は赤くたってかまわない。知らないことは山ほどある。 翠明館にて、暗い7時、タロットカードで占いをしてもらった。 自分のうわさをきいて、ふうんと言いながら、鼓動をはやくした。
ラスベガスで、銃の乱射事件が、あったらしい。いよいよ、さっきまでよんでいた本が、とてつもなく、遠いところにいってしまった。ざっきーさんに電話をして、わけのわからないまま、話した。無能感は、なにを話してもついてくるけど、時間がたつにつれて、声ははっきりした。 電話を切ってから、わたしは、ひとりに耐えきれなかったんだと、気づいた。だれかとわたしだと、現実は遠のく。ひとりと現実は、あまりに直結だ。わたしが、人間分子の文字をなぞっているあいだ、数えられない(知りえない)ひとがいた。 だけど! そうだ、おかあさん、わたしがおかあさんを知ることは、おかあさんを守っていることにちがいないんだ! それに、だれかは、だれかを守っていた。わたしは、彼女や彼を守ることができなくても、風子を守ることはできるんだ、そして、それは、だれかである。そう、わたしはだれかで、だれかを守ることができるんだ! わたしは、そこにいないぶん、ここにいた。だれかを知らないぶん、おかあさんを知っていた、風子を知っていた、さやちゃんやまるを知っていた! まちがいない。ひとりは、世界に直結だ。