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石井桃子さんの訳した『ギリシア神話』を読んでる。 アトラスが空をずっと持ちあげていないと潰れるような世界なら潰れてしまえばいいんだ。 小山田壮平の「OH MY GOD」を聴くと、地団駄を踏むように歩き続けるリズムとメロディー、たまにぬけてゆく涼しい風のコーラス、空をみあげて込み上げてくる声、うつむいても止まない誰かへのおもい、繰り返しつぶやく呪文を追体験する。 だけどこれは壮平のじゃなく、わたしの感触なんだな。 悔しさとか、かなしさとか、おもいどおりにならないことで熱くなったからだに冷たい空気がふれた。 ふとまっすぐをみつめると、竹林が揺れている。 恥ずかしさでまた熱くなったからだは、しばらくするとおだやかに揺れはじめた。
体調がいまいち安定しない。やり直す夢ばかりみる。睡眠時間が長いせいかな。 静かな夜がなかなか来ない。ざわざわ、ぐらぐらしてる。おもいだす照明はいつもオレンジ。人も物も近くで瞬いて、夢をみると遠のく。 このあいだ、はじめて空間を知った。以来、たまに空間を作って自分を立体的にしている。 左腕を布団から出すと冷たくていいきもち。空気きもちいい。 うたいたくてききたい歌。どこへでも行きたい。
 ひさしぶりに会った友だちは、わたしのふくらはぎの裏に、細かい砂を少しずつ落としてくれた。 「わたしとか、風子の毛がさらさらのときみたいに、さらさらの砂だよ」というと、友だちはわたしの髪を触らずに、わたしの掴んだ砂と少し離れたところの砂を持ち上げて、掌からこぼした。「わかる」。 ざわめき、人の動きを排除してしまうカメラで友だちを撮るのがいやだった。だから砂浜に寝そべって、小さなクロッキー帳に5Bか4Bの鉛筆で、海を歩く友だちをぐりぐりと描いていた。 そのあいだ友だちはわたしの左前に、波のなかで見つけた貝殻をしとしとと置いていった。 わたしはこのひとに会うまえから生きていたけど、このひとがわたしのガラスにヒビを入れてくれたんだな。 ゆるい下り道を自転車で駆け抜けた。友だちの最速はわたしの最速より速い。 海が右の視野にたくさん映ると友だちは減速して振り返り、「まじでいいなあ」と叫んだ。透明でも空っぽでもないけど、たしかに友だちからみえた世界をほんの少しでも表したそのことばが、わたしはうれしくて、動揺した。わたしのうたっていた「スランプは底なし」がますますこの世界と乖離するからおかしくて笑った。
 醜い政治家の酷いニュースが続いている。 体の奥底の洞窟からぐるぐる声が反響して届く。ほら。みたろ。こんなところにいたんだよ。わたしのざわめき。うん、と頷きたいのにできない。肋骨の内側から、ぐい、ぐいと押される。そこにいるんだよ。わたしが。それしかいまは聞こえなかった。十分苦しい。ここからは読んで、考えなくちゃ。 昼ごろ、庭の草のうえで転がっている風子を迎えにいったら、そのまわりを黄色い蝶がふわふわと舞っていた。風子の黒い鼻がぼんやりと光って、体はほとんど光になっていた。触れるまで、線がなかった。眩しくて、暖かい光。 爽楽はげんきかな。 呆れて笑っちゃうような自分を脳から知っても、それでいいやとおもえる。 蝶がうれしくて、写真を撮ったほうがいいかな、と目で追っていたら、わたしの足元にふわりと近づいて、すぐに離れて、ジャンプしても届かないだろう高さまで簡単(そうみえるのだ)に飛んだ。それよりすこし上の方に、黄色い蝶がもう一頭いた。二頭の黄色い蝶はもう、わたしのものでも風子のものでもない世界で飛んでいた。
さようならを言えなくても、「ダンス」は流れるから、踊ろうね。 踊っていてね。