居候35日目。最近、眠ると恐ろしい夢ばかりみる。きょうの昼過ぎなんて、夢のなかでも怖い夢をみていた。どんな夢だったかは覚えていない。ただ夢から覚めた夢のなかの自分が、申し訳ない気持ちをすぐに飛ばして居候先の住人たちに「いっしょに眠って」と言えていたのはほっとした。 夜、スヌーピーの形をしたかき氷機でかき氷を作る。スヌーピーの頭を取って首のところに氷をいくつか入れて頭をまた被せ、上から頭を押すと空洞になったお腹のところに削れた氷が落ちてくる。このかき氷機は居候先で25年くらい使い続けていて、まだ壊れる気配はない。ただ、削っているあいだの音があまりにうるさいので、居候先の住人は今年でそのかき氷機を「引退」させようと言っていた。ぼくとしてはまだ居候先にあってほしい道具だったから、かき氷機を捨てようとしていた住人に「きょう使ってみたけど、まだいけると思うな。来年まただして使ったときにやっぱりダメだと思ったら捨てようよ」と提案した。すると住人はなぜかうれしそうに「このこ笑ってるよ」という。かき氷機が笑ってると言ってるのだ。ぼくは自分のいやな癖(モノに感情があることが許容できないから、その考えを他人に押し拡げる)で「笑ってないよ」と返すと、住人は「笑ってるよ。泣きながら笑ってるよ」と繰り返し言う。ぼくも「元からこういう顔なんじゃないの」と食い下がり、住人はさらに「ちがうよ、ほっとしてるんだよ」と言う。 オリックスが優勝して、喜んでいる住人とピンポンをして遊んだ。
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居候33日目。昨日か一昨日、洗面台の鏡にうつった自分の右目頭が、汗で銀色に、生々しく光っていた。卵を抱えたししゃもの腹みたいだった。 土曜日。居候先の住人たちと瀑布の飛沫を浴びたり、滝のあたりのぬるぬるすべる石の上を注意深く踏んだりした。木々でつくられた木陰の道から滝のそばまで急な階段を降りていくと、風光はすぐに細めた目でぼくを見上げて、川の水を催促した。 高さが60メートルあるわりには、落水は軽やかで滝口は浅くて狭い。「広場」と名付けられているそこに、子どもやその保護者たちがすべりながら足を水に浸してあちらこちらにうろうろしていた。ぼくと住人も、履いてきたスニーカーと靴下を脱いで、持ってきたサンダルに履き替える。 住人はしばらくして、ぼくの腰ほどの高さの岩で隠された、小さな滝口を見つけた。広場よりも水深が深いからあたりで遊んでる子どもたちはそこへ行かない。住人に呼ばれて背伸びしてみると、流れの感じない水がたっぷり溜まっているのが見えた。ぼくは住人に止められたら戻ろうと思いながら、歩けば歩くほど水がかきまわされて見えにくくなる川底を進んだ。湿って青々とした苔を生やした石にそうっと手のひらをあずけ、薄暗い滝壺を覗く。ひたひたに溜まった深緑の水に白い水が落ちてる。ぼくは、すぐそこにある滝壺に手をひたす気持ちにもならず、ポケットに入れていたスマホを取り出して、写真を撮った。画面のなかの濡れて暗い色になった岩や石に囲まれる水の塊をみて、Instagramで8年ぐらい前にみて以来あこがれている、透き通った青緑色の川を思い出す。ぼくはひとりで住人や風光が立っているところに戻った。 住人がぼくに「ええ夏休みになったな」と、昨日も、きょうもいった。
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居候31日目。住人たちを見送って、LITALICOに勉強するとウソをついて、お菓子を食べたり風光と駆け回ったりして遊ぶ。 夕食中、セルトラリンの服用を始めるまえみたいに気持ちが低いところに横たわっていてた。ほとんど黙ってカレイの焼き魚を食べる。 ひとが黙ってるとき、そのひとは黙っている自分に驚いてるかもしれない。 食後、つまらなくなってダイニングテーブルの下に転がる。椅子に座る住人の手がみえて、右手を伸ばしたら握ってくれた。安心する。でもしばらくすると、ずっとあげている腕がだるくなった。何かの拍子に手が離れていく。「ふうこ」と呼ぶと、みえないところにいた風光がとことこやってきて、床に転がるぼくの顔の前でふせた。住人たちが「来てくれてうれしいね」「きたきた」と喜んでくれる。
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居候29日目。 午前11時ごろから、明日回収されるダスキンを使い切ってしまおうと、ぼくと居候先の住人のふたりで大掃除がはじまった。ほこりを吸う機械の音よりも大きく鳴り続けるスピッツの『ひみつスタジオ』に、ぼくと住人はときどきダスキンのモップから手を離して踊る。汗が肌の上を滑って気持ちい。 その姿真似るよ 可笑しいね手毬 変わりそうな願い 自由気ままに舞う 君を見てる 可愛いね手毬 新しい世界 弾むように踊る 君を見てる (スピッツ/手毬) ひとあしさきにほこりを集め終わった住人が、機械とスピッツの音で詰まったぼくの耳に「掃除終わったらいっしょに休憩しようね、キャンデー食べよう」と言う。汗と何かで汚れて白くかすんだ眼鏡ごしに、キャンデーをもつ住人をみつけた。ぼくはしあわせを逃さないように、必要以上に大きな声で「うん、もうすぐおわる!」と返す。 掃除を終えて、手を洗い、住人がもっているのと同じ薄黄色のアイスキャンデーを右手に持って、ソファに駆けこむ。住人が隣で、半分食べ終わったキャンデーをぼくに掲げ、ふたつのキャンデーがコツンとぶつかる。スピッツの「アケホノ」が流れてる。住人はまたぼくにキャンデーを向ける、ぼくはそれにキャンデーをぶつける、またぶつかる、もう一回、ぶつかる。 生きていて良かったそんな夜を 探していくつもの 夜更かしして やっと会えた朝 (スピッツ/アケホノ) できすぎだ。ソファに座ってから、住人とアイスで「乾杯」するあいだ、ぼくと住人はなんの言葉も発さなかった。非言語のサインを読み取る力を持たざるを得なかった住人と、その読解を求められながらも理解できなかったぼくが、2人で、汗をかいて、同じ歌を、そばで、横並びに、聴いている。小さな涙がぼくの目尻を伸ばす。住人の足元で、風光が寝てる。住人が風光のふわふわの顔を包んで、かわいいね、かわいいね、と言う。ぼくはしあわせに堪えられなくなって、高い声で「あー!」と叫ぶ。住人は何も言わない。ぼくはわからない。それでかまわなくなった。 アケホノに誓いましょう 昔じゃありえないあの 失ったふりしてたクッサイ言葉 諦めるちょい前なら 連れて行くよ怖いかな もう大丈夫 泣いちゃうね ほわんと淡い光 (スピッツ/アケホノ) 1よりつまらなくて、だけどそれより最悪な状況を、ぼくたちは乗り越えなきゃ行けない。続きを作るんだ。
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居候25日目。朝の散歩で風光と雨に降られる。 夕飯のサンマを庭で焼いた。西の方にまだ青さが残るくらいの夜の時間、名前も姿もしらない虫たちのたてる音をきく。ぼくは自分のしたいことだけをできるように自分を動かすのが得意なのかもしれない。部屋で夕飯の支度をするより、外でソーダを飲みながら魚を焼くほうがいいに決まってる。庭に面したリビングの窓越しに風光の黒い目をみる。ぼくは自分の声が住宅街に響いてることも忘れて、住人を庭へと誘う。もう死んでしまった犬の骨を埋めたあたりに、ハブランサスが4本(うち3本はまだつぼみ)も生えていたのだ。住人が花をみて「ももに会いにきたんだよ」と言う。爽楽は住人のことがすきだったから、そんなわけないと思ったけど、そう言ってくれたことが意外だけどそことなくうれしくて、「そうかあ」と言ってみる。明日、あの花を一輪挿しに挿して家の中に入れる。