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足羽山公園に、母と父と風子とわたしでお出かけした。 秋のはじまり。 夏にはしっとり重たかった体が、秋になると頼りないほど軽くなる。風通しのよくなった自分の皮膚に触れると、これからくる季節への不安が脳内でBGMのように流れ続ける。 だけどいま、そのボリュームはほとんどゼロに近いくらいに絞られている。 季節が巡る仕組みを頭のなかで反芻するようになったから。 回ってるんだ。いまも。 たのしいおもいでが植えられたけど、きょうはもう眠いから、またいつか。 おやすみなさい。いい夢ばっかりみますように。
 葛の線路をいっしょに渡った。歩くところが、どんどん雨の散歩道になっていった。 車のなかを音楽が、酸素をいっぱいふくんだ銀色の水みたいに流れて、冷たくて、きもちよかった。 夢みたいだけど、これも、生活のつづきだね。
夕方、ベッドの横の窓から、涼しい風と道路を走る車の音が部屋にどんどん流れてきた。 耳栓をして自分のなかに閉じこもる。 風はいつもいまを届ける。これからや、これまでを持っていってしまう。 でもだいじょうぶだよ、と、わたしも、友だちも言う。 今年の冬は、ちゃんと寒いといいな。
 雨がかんかん、音を鳴らして降りはじめた。これから一週間ほど、雨が続くらしい。 季節を締め切るみたいだな。そんなことされてないのに、何もかも地続きなのに、まだまだ知らないことがたくさんあるのに、わたしはわがままだな。 暑すぎると魚が死ぬ。海面が上昇して人々、生きものの住処が沈む。 そんなのは嫌なんだ。だから、すべてをすきになりたいのに。 風を愛せたら変わるかな。時の止まる瞬間を待つのをやめられたら変わるかな。 そうやって否定してみても、またすぐにバランスを崩すだけだから。 まぜまぜであることを認めなきゃ。わからないいまが、このあとずっと続くわけじゃない。 どうか、きもちよく、過ごしていますように。 祈っても、理想や「答え」の世界に住まわせても、わたしのためにしかならないと、気づかせてもらった。わたしの世界のあなたのことしかおもわない自分をやめたい。 ここにいないあなたが、きもちよく、過ごしていますように。 あなたがだいすき。雨になっても、だいすきだから、わたし、必ず叶う夢をもって生きてる。
きもちを伝えるたびに、小さく、ごめんなさいが溜まってゆく。嘘を言ってるわけじゃないのに、どんどん空気が抜ける。内緒にしてね、と言われなくても秘密にすることを覚えた。 「時間が止まればいいのに」と言うので、やっとだった。「誰もいないふたりの世界」なんてあり得ないのだ。 だけど、またふたりに小雨は降るよね。 わたしの「猫になりたい」は、猫が歌う「猫になりたい」なんだよ。
 20時から5分間だけ、花火が打ち上げられた。家からみえない花火を目指して、わたしと母と次兄は外に出た。 母に「走る?」ときいたら「走る」と許可が出たので、わたしは背中を押されたみたいに、暗い坂道を駆け降りた。小さな段差につまづいて転ばないように、わざとガタついた歩道を行く。 母が暗い道を怖がって歩けなくなっていないか心配になって振り返ると、遠くから母と次兄が並んで歩いて来るのがみえた。 あのとき、わたしたちの目的はきっといっしょだった。生きているとこういうことが起きるんだ。 安心して、花火を捕まえるためにまた坂道を駆け下りていく。 緑色のファミリーマートまで下ると、ついに花火が全部みえた。 もっと空の近くでみたくなって、ファミリーマートの裏にある葬式屋の高台に登る。だけど登りきった頃にはもう、花火は上がらなくなっていた。 濃紺の空が背景から夜空に変わっていく。 花火は終わったのに、母と次兄はわたしのところまで降りてきてくれた。 早歩きの母と口数の多い次兄といっしょに、行きより明るく感じる帰り道を帰った。
わたしと母と父と次兄の海開きをした。 浮き輪を三つ、スイカのビニールボールをひとつ車に積んで、夕闇の海に出かけていった。 海は藍色。 波は穏やかで、浮き輪に座るようにして海に浮かぶ次兄をやさしく揺らしていた。父がスイカのビニールボールを抱えて「ラッコみたい」に浮かぶ。母は口数の少ないわたしに一度「げんき?」(「げんきだよ!」)と訊いて、兄の浮き輪をたまに突いたり押したりしてかまっていた。父の真似をしたわたしに、父が「ラッコみたい」と言う。 すべて、やわらかな海水のなかで起きたこと。体温と海水温が馴染んでゆく。混ざり合うことができたらいいのに。触れ合って、揺らされるだけのわたしたち。 ゴーグルをつけて潜ってみると、海底に小さな白色がいくつもみえた。砂を被っていたり、さっくり刺さっていたりしてるんだろう。 水切りによさそうな石も二つ沈んでいた。あれは何色だったんだろう。水深170センチメートルくらいのところだったから、拾い上げて確かめてみてもよかったんだけど、しなかった。ひとりになりたくなかった。