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 居候17日目。きょうは一日のほとんどを寝て過ごした。1週間に一回の頻度でこんな日がある気がする。疲れるようなことはほとんどしてないはずなんだけど。 長い昼寝から目が覚めて共有スペースに降りると、住人のひとりが「薬の影響か?」と真剣な声でいう。「こんなに寝てるのおかしいもん。寝るなって意味じゃないで」その通りだ。怒られても仕方ないとぼくは思うけど(だって寝てる間、洗濯や風光の散歩や掃除や買い物をほかの住人に任せてるわけだから)、住人は怒らずにぼくの体調を心配する。「最近すぐ、疲れた、ねむいって言ってるよ」と。実のところ、1ヶ月ぐらい前から、住人たちと過ごすときにできるだけがんばらないようにしようとおもって、限界がくる前にちゃんと「疲れた」と言うようにしていた。でもそれを除いても確かに、一日中眠ってる日の頻度が高くなった気がする。そんな日は起きてもまだ眠いのだ。薬は、6月からストラテラを一錠増やしていた。 海洋放出がはじまって、じわ、じわと無気力のインクが身体中に広がって戻らない。もういやだ、と叫ぶまもなく沈んでいく。
 居候16日目。シャワーしてると学校やひとから投げかけられた言葉、それらへの憎しみで頭がいっぱいになった。映画の同時視聴は途中で抜けた。今朝のことを思い出せない。どんな散歩道を歩いたっけ。いま思い浮かべてる風光の後ろ姿はきょうのじゃない。ねばねばした手で過去に引っ張られる。こうなったらどうするか、前から考えておけばよかった。こんど考えようかな。からだにうつったねばねばが布団にひっついて動けない。布団だからまだいいか。
 居候15日目。 わたし以外の住人3人と食事したあとに、わたしひとりだけスイカを食べた。いらないと言われたら、遠慮してると思い込んで無理に押し付けずに、いるならいつでも言ってね、と言うことがたいせつなんだな。 風光は散歩の帰りに、家の近くの空き地でボール遊びをしようと誘ってくる。家のなかではほとんど寝てるけど、風光は走ったり登ったりするのがすきな犬だ。温暖化のせいで(それはここまで環境破壊を見過ごしてきた企業、国家、わたし、ひとびとのせいで)夜になっても気温が25度を超えてる。選択は習慣に支配されている。絶対でない消費行動をみつけては立ち止まりたい。これ以上、誰の権利も奪わず、また奪われないために。 夕方。空のあちこちで雲が立ち上がる。日本手話の「月」のような形の月。柿の種のピーナッツじゃないほうみたいな形の月が、途中で雲の色を変え、跳ね返り、蚊の脚を爪先まで照らし、わたしの産毛にあたり、跳ね返り、風光の踵にふれ、みえなくなるまで跳ね返る。
 居候14日目。きのうの日記で書いた『VIVANT』を6話まで観た。Discordサーバーでいっしょに映画を観ているひとや、友人には勧められないドラマだ。堺雅人の演技は良い。でも良いのがつらい。堺雅人がどんな役柄を演じているのかは、ネタバレになるからここではいえない。あのドラマはどうなるのだろう。国粋主義にのっとられた人々の暴力を「冒険」として描いて終わるのだろうか。 政府が処理汚染水の海洋放出を漁連や被災地区の同意なく決定したという報道をみた。まさか強行されるとは思ってなかったので反対を表明するのが遅れていた。政府と東電がここまで処理汚染水の海洋放出を焦るのはなぜだ?
 居候13日目。きのうの墓参りと親戚づきあいで浴びた眼差しが一晩でぬけた。友人のおまじないと、居候先の環境と住人のおかげだ。 怖そうなのとめんどうなのと気分じゃないのとで先延ばしにしていたTBSドラマ『VIVANT』を一気に3話までみた。ところどころ、いや全体的に国家権力への無批判さが目立つし警察賛美だし、テロへの一面的な見立てしかない(これはまだ序盤だからかもしれない)。そしてニッポンジンを有能で文化的な人間として描くのに対して、白人とニッポンジンと警察以外のヒトは「やさしくて従順」か「金目当ての愚者」のどちらかだ。酷い。
 居候12日目。今日の夕方に墓参りに行くと昨日から聞いていたので、体力温存のために15時までだいたい寝て過ごした。 墓参りに行くということは、居候先の住人の親にも会うということだ。あのひとたちは会うたびに、おれに「いま何してる」と訊く。何度も訊かれてきたので、その言葉で「仕事をしているのか、しているとしたらどんな仕事なのか」を訊かれてるのだとわかる。きょうはその質問に居候先の住人にもらった助言の通りに答えた。うそをつくとつらくなるおれのためを思ってか、うそにならないような答えを住人は考えてくれた。それでも訊かれること自体がいやだった。おれより年下のいとこが、どっかからのスカウトを断って第一志望先に就職したという話が聞こえる。スイカを買ってきたよ、と言われると腕をあげて喜んでしまう。どんな役割も被りたくない、スイカも捨てて逃げたい。やっぱりスイカは持っていってもいい。 外で夕ご飯を食べて、家へと運ばれる車のなかで、空に月を見つけた。車を運転している住人が月を見て「朧月どころじゃない」という。わたしが「かすかすやね」と同調すると、「掠れ月」と聞こえた。オレンジ色の蛍光ペンをぬったような色の掠れ月は名前をつけられるとすぐに雲をはがして、くっきりとしてしまった。
 居候11日目。 どんどん、居候先の住人の、ほかの住人への言動が強くなっているのを感じる。 居候先にはヒト型の生きものが4〜5体、イヌ型の生きものが1体住んでいる。それぞれの名前を使わないようにこの日記を書こうとすると、書きながら自分も混乱してしまう。それで、この日記のなかだけでそれぞれを呼ぶ名前をつけようかと思ったけど、書きやすくしないほうが個人を特定されなくてよいかもしれないから、このままにする。 居候先の住人と、うちわで白い風船を弾いて遊んだ。風船が体や顔にあたったところで痛くないのはわかってるのに、自分の顔くらいおおきな丸いのが飛んでくると、びっくりして、風船を打ち返すのが遅れる。 そういえばきのうは、うちわで卓球をした。 夕方、住人のひとりと、風光と、わたしで、サンセットビーチへ散歩しに行った。サンセットビーチの砂浜に散る貝殻は須磨よりも淡路よりも細かい。青い鉄のような色の海水は穏やかで、砂に映った光が波におくれてひいていく。太陽は海に浸かり始めたらすぐに、頭まで潜ってみえなくなった。夕日を撮りに来たひとたちが、砂浜に足跡をつけて帰る。