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母の目に

母の目に 花がたくさん映り 蛇のぬけがらがたまに 光りますように ぼくは歩く ぼくの名前はこれだけ あなたともう一度出会うことはできない 母の目に つんつんにぎやかな山の峰が映りますように 大きな夕陽が 広がる夕焼け空が あなたの体をあたためますように

手のひら

あのとき そろばんをはじき あのとき 髪の毛を強くひっぱり あのとき 布団の冷たさを感じ あのとき 硬い頭をたたき あのとき ぐずぐずのティッシュを丸く固めて あのとき 小さな字で詩を書いていた 手のひらは この 手のひらなのか ぼくは生きのびた 生きのびた手のひらを見 つめられず そっとぎゅっとにぎった
ぼくがどんなに遠くまで 自転車をこいだとしても 生きものであることに変わりはない プログラミングをして 自動ドアにむかえられて くつひもを結び 文字を言葉にして読み 鏡に映る口を見て 布団を頭まで被っても ぼくは生きもののままだ

深いみどりへ

深いみどりをのぞきこんで きみのまなざしを思い出すよ ここにきみはいないが きみはぼくのこころに寄り添おうとして 船を漕いでくれるだろう それがいまでなくともかまわない ぼくは 深いみどりに手を入れて うでを するすると入れて きみからのまなざしを思い出している
 誰かの歌声に隠れながら書き始める。音楽を聴くと感情が簡単に揺れる。だから、そのときの気持ちだけがまるで真実みたいに感じたり、普段が嘘のように、何かを忘れたまま生きていたように思えたりする。だけど、音楽を聴いていないときも、あなたの歌を聴いていないときもわたしは存在している。音楽は行動や気持ちを簡単に作るからこそ、それに流されたくないときがあるよ。音楽はすきだよ。踊るのもすきだよ。自分でやめられるあいだはすきだ。
涼しい風が日陰をさっさと冷やして真夏のピークが過ぎた。このあいだまで素足じゃ火傷しそうに熱かったコンクリートの道で、風光が鼻を持ち上げたまま立ち止まった。 軽自動車がうるさく行き交っていたはずなのに、その音を覚えていない。覚えているのは、熱さと緊張で少し平ために開いた風光の口元と細めた目。涼しい風を感じる毛だらけの体。
 サンダルなら裸足でも気持ちいい。それって「スニーカーを裸足で履くと靴が臭くなるよ」って言われてきたから? どうかな。 大事なのは指先が外気に触れていること。雨水が裸足の指を直接濡らすこと。裸足の指で濡れたサンダルを撫でられること。乾いた公園で風光と遊んでサンダルを黄土色の砂で汚すこと。ざらついたつま先のままコンクリートを蹴って家に帰ること。 「すぐ洗える」から汚れてもいい。汚れるに決まってるから。 玄関で風光を抱えて、毛のびっしり生えた足を白いウェットシートで拭く。白くて薄い生地に薄明るく延びる黄土色。 「えらかったね」とわたしは風光に言う。 わたしは汚れたサンダルを脱ぎ、ざらついた裸足で廊下を歩く。 いい気分だけど、私も足を洗って家に入ったほうがいいのかも。サンダルごと蛇口の水で砂を落とす。それか濡らしたタオルをあらかじめ玄関に置いておけばいいのかも。それなら風光の足もそれでいっしょに拭いてしまえるし、洗って干せば何回でも使える。 裸足って気持ちいい。汚れてもいいし、汚れるに決まってるし。 カネコアヤノをApple Musicのシャッフル再生で聴いている。カウベルが揺らすもの。 恋をしていなくても歌うよ。道の端っこを歩いていても踊るよ。カメラもマイクもライトも通り過ぎて、でもそれがなんだっていうんだろう。冷たく暗い道に躍り出て、眩しいものを見つけたら走る。