誰かの歌声に隠れながら書き始める。音楽を聴くと感情が簡単に揺れる。だから、そのときの気持ちだけがまるで真実みたいに感じたり、普段が嘘のように、何かを忘れたまま生きていたように思えたりする。だけど、音楽を聴いていないときも、あなたの歌を聴いていないときもわたしは存在している。音楽は行動や気持ちを簡単に作るからこそ、それに流されたくないときがあるよ。音楽はすきだよ。踊るのもすきだよ。自分でやめられるあいだはすきだ。
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サンダルなら裸足でも気持ちいい。それって「スニーカーを裸足で履くと靴が臭くなるよ」って言われてきたから? どうかな。 大事なのは指先が外気に触れていること。雨水が裸足の指を直接濡らすこと。裸足の指で濡れたサンダルを撫でられること。乾いた公園で風光と遊んでサンダルを黄土色の砂で汚すこと。ざらついたつま先のままコンクリートを蹴って家に帰ること。 「すぐ洗える」から汚れてもいい。汚れるに決まってるから。 玄関で風光を抱えて、毛のびっしり生えた足を白いウェットシートで拭く。白くて薄い生地に薄明るく延びる黄土色。 「えらかったね」とわたしは風光に言う。 わたしは汚れたサンダルを脱ぎ、ざらついた裸足で廊下を歩く。 いい気分だけど、私も足を洗って家に入ったほうがいいのかも。サンダルごと蛇口の水で砂を落とす。それか濡らしたタオルをあらかじめ玄関に置いておけばいいのかも。それなら風光の足もそれでいっしょに拭いてしまえるし、洗って干せば何回でも使える。 裸足って気持ちいい。汚れてもいいし、汚れるに決まってるし。 カネコアヤノをApple Musicのシャッフル再生で聴いている。カウベルが揺らすもの。 恋をしていなくても歌うよ。道の端っこを歩いていても踊るよ。カメラもマイクもライトも通り過ぎて、でもそれがなんだっていうんだろう。冷たく暗い道に躍り出て、眩しいものを見つけたら走る。
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ブログをしばらく書かなかったのは溶けてゆく氷のように毎日を過ごしたかったから。滑るように止め処なく過ごしたかったから。時間は簡単に止まるけど、それを書き留めないでいた。 イチョウの尖った枝ぶりがすきで、それに貫かれることを妄想すると気持ちよさを感じるようになった。それから数日後、その感覚が実物のわら半紙を実物のシャープペンシルで貫いたときに得る快感とよく似ていることに気づいた。貫かれる妄想で得ていた快感は貫く側の快感だったのだ。自分の頭の都合の良さが嫌になった。 それなのに裸のイチョウの木をみつけると快楽物質はすぐに沸いて脳内を駆け巡る。 こんなことばかりなのかもしれないと自分を気持ち悪くおもう。 アルバイトに通う道にも風光との散歩道にもイチョウは立っていた。 さっきの段落を書いているあいだ、自分の感覚はやっぱり当てにならないとおもい続けていたけど、それで構わないことをおもいだした。自分を善良な存在だなんておもっちゃだめだって、『さんかく窓の外側は夜』で半澤さんが言ってた。わたしは「その通りだ」とおもってするする読んでいた。 疑い深いとおもっていたのにいつのまにか簡単に信じる人間になっていた。いけないことだ。さんかく窓もまた読み返そう。 髪の毛をたくさん切ってもらって短くなった。気に入ってる。強い風のなかを大股で歩いて、目の中に入る塵をいくつか感じた。そのときのわたしが、わたし全体がそうできたことは、偶然のことだった。
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うれしいことがあって踊る。 わたしの葬式が開かれるとしたら流れる音楽は「ダンス」がいい。わたしのすきな歌だし、そこにいるひとのための歌だとおもうから。 もし、わたしを知っていそうな物が悲しそうな顔をしてたら「野生のポルカ」をおもいだしてほしいよ。それに聴こえるように「細道駆ける最高の野生種に 細道駆ける最高の野生種に 細道駆ける最高の野生種に 細道駆ける最高の野生種に 細道駆ける最高の野生種に 細道駆ける最高の野生種に」って歌ってあげてほしい。これは必要な呪文だから。 葬式は「さようなら」って言っても「さようなら」って返ってこないから帰れないひとのために終わりがある。 いい匂いの「ダンス」。もう一度、もう一度! きのうの夜、だいすきな友だちが歌をうたってくれた。きらきら、空気にひっかかったりすべったりしながら、金色の粒々は流れてゆく。たまに緑色やピンク色や銀色の光ののった金色の粒が、右のもっとみえないところへと流れていった。 うたってくれた歌は聴いたことのあるメロディーだったはずなのに、もう忘れてしまった。だけど、別にいい。 不自然なのはわかってるけど、いまのところ、これでいいとおもってる。
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おとうさんの誕生日は、葉っぱと海がぴかぴかの、空がふわふわの晴れだった。 できたことがいくつもあった。おめでとうということ。だいすきだと伝えること。ハグをしてもいいか訊くこと。ぎこちなくなった自分を部屋に入れてもとに戻せたこと。プレゼントを渡せたこと。ケーキを買えたこと。いっしょにスーパーに行ってお弁当を選び、買ってもらったこと。 海を眺められる東屋で、お弁当を食べた。 母と父の間に座って、わたしは海や人や波の泡や岩やごみやいなり寿司や空やカモメをみていた。警戒していたトンビは一匹もみあたらなくて、逆に変な感じだった。 突然和太鼓と横笛のパフォーマンス(練習かな)がはじまったので、とりあえず踊った。おかあさんが「帰ろうか」というまで、座ったりうろうろしたり撫でてもらったりしながら、踊り続けた。 上へ下へ弾むように繰り返される蚊柱。