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なんにもできない。 自分のこともきちんとできない。 それなのにまた返事をしてしまった。 間違えてしまった。さつきのなかに突っ込むとバキバキさつきの枝が折れてしまった。 ボールが取りたかったから。 だれかのために生きることを少しでもできたらいいのにな。
『イミテーション・ゲーム』を久しぶりに観た。記憶と状況が、奥で小さく目の前で大きくでもどちらも同じ速さで光る。勝手に動き出すのだ。それについていまは何も考えたくない。 この映画の始まりがすきだ。「責任は君にある、注意して聴くように」。そのことばが映画を観終わって固まる身体に「責任をとることのできるわたし」を取り戻させるのだ。 虚構と現実で世界を二分化すれば、弱々しい安心と不安と真実が得られる。起きているときに幽霊をみたくないのなら、それでちょうどいいんだろう。
月が明るい。眩しいのは、存在の光だ。 すべてがうそで、なにもかもがわからなくなって、わたしも、誰も、いなかったとしても。宇宙は絶対にあるのだと信じていたい。言い切ることはできない。だけど、それでいいのだ。わたしには信じるものがある。ある、ということが、少しずつ、わたしのなかに取り込まれてゆく。なんて、力強いんだろう。なんて、たのしいんだろう。 神さまとは言わない。だって知らないのだ。 でも、宇宙はある。わたしがいなくたって、ずっとある。
寝そびれても、あしたまた眠れたらいい。いつかまた日向のなかで眠るかもしれない。 音楽ばかり。ことばばかり。ちゃぽちゃぽ歩く。蹴りあげるだけの海水は重たい。浸からないから、タオルも用意してないよ。くもっているならずっと歩く。
『英文学史入門』を読み続けている。面白い。文学理論を読んでいたときにはなかった、手のひらに残る面白さだ。 だって、わたしはこれを、手放さなくてもいい。ずっと持っているための、何度も繰り返す名をはじめて聴くよろこび。そんなものを味わったことがなかった。 ジョン・ダンの詩を知らないのに、まるで強い影響を受けているみたいだった。インターテクスチュアリティ。知らないまま、わたしはたしかにことばを学んでいた。
『独り舞』を読んで底にひっついてしまった。友だちに勧めてしまったけれど、あわてて撤回した。 離人感や、隔たり。 死と生が支えるだいすきな世界の、向う側がとつぜん透けてみえる。 揺れる陽炎をみつけて、世界に覗きこまれていることを知る。 どれも悪いものじゃない。もっちゃいけないものじゃない。苦しくてもいい。大丈夫じゃなくてもいい。そのまま読みつづける。
うれしくてどうしようもないことが、まいにち起きて芯になった。わたし以外のほんとうがここについている。つづいていく。 黒猫は、濡れてるみたいだな。水たまりをみると、濡れていないとおもう。黒い車が通って、ちゃぷんと音を立てた。