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25日の夜、まりなさんは桃をもってやってきた。わたしたちは、くわくわとはしゃいで、するする皮をむいて、へんてこに削って、出窓にならんでから、桃を食べた。 まりなさんの提案は、いつも、唐突で突飛で、だけど的を得てる。そういえば確かに、わたしはこれがしたかったって、おもわせる。相対性理論を演奏したかったし、あのときガストに行きたかったし、わたしは桃を食べたかった。 けらけらと食べおえて、フジファブリックをきく。26日になると、まりなさんが「Birthdayを聞こう」と言った。いつもどおり音楽にまみれ、3時に眠った。 まりなさんのラインのミュージックは、志村の誕生日と同じように、「Birthday」になった。 朝、教室にはいると、たくさんの人が、いっぺんにお祝いしてくれた。そっぽを向く人もいた。わたしは自分が、約4ヶ月間、誠実であったことをみとめた。 たやちゃん。 ソラニンを読んだ。フジファブリックをおもった。アジカンをおもった。たまらず走った。フジファブリックをおもった。ギターをおもった。志村をおもった。わたしをおもった。階段を駆けあがった。 たやちゃんが! わたしが死んだら! 世界にひとつ、穴ができるのだ。骨を埋めても満たされない穴だ。死ななきゃできない穴だ。 わたしが死んだら! だれかの世界は、穴を抱え、動いていく! 19歳である。 10日が志村の誕生日であったように、26日はわたしの誕生日だった。
明日はスピッツのライブ。 夏バテ盛りである! 今年の夏バテは、7月1日からはじまった。白米もパンも肉もいらなくなる代わりに、すいかとそうめん、膝で折るアイスを欲する。頭がモヤとして、体がムクむ。 最近は、じゃがいもを蒸して、塩こしょうか麺つゆをつけて食べている。調味料を味わうのに、じゃがいもは、ばつぐんに仕事をする。 嬉々として、夏バテ!わたしは夏バテ好きなのだ! 週間金澤を読んでる。まりなさんに借りたのだ。ダイちゃんの文章は、とてもはやい。短いわけでなく。なにかに虜になっている人特有の、わっと通りすぎていく文章だ。いいなとおもったので、夏バテの文は、ダイちゃんを、ほんのちょっと真似てみた。 音楽をきいています。みんなは最近、なにをきいていますか?
ここ最近、自分がおかしいということを、認識することが多くて、じわじわとまいってしまっていた。だから今日は、久しぶりに、教室を飛びだしたり、ティッシュの塊をどんどん大きくしたり、泣きながら、悲しくないんです、と言ったり、体をかたくしたり、した。 それでいて。志村正彦の誕生日だとおもったら、夕方には平気になった。言葉にならないけれど、わたしにとって、志村の存在は、そういうことなんだとおもった。アルバムを聴いた。まりなさんのラインのミュージックが「Birthday」になっていた。 7月10日。
スピッツがいて、ほんとうによかったな。フジファブリックがあって、ほんとうによかったな。音を鳴らして、たくさんの歌をうたう世界で、よかったな。涙がこぼれそう、ヒバリのこころ! 音楽に、まみれる夜だ! 壮平や草野さんやゴッチでなく。志村正彦に憧れ続ける。理由はわかる。わたしはああはならない。でも、憧れ続けるのだ。
なくてもよかった。でも、どきどきした。 まだ、だれかのまえで彼女の話をすると、泣きそうになることに、おどろいた。同じ学科の、うさんくさいとおもっていた男の子が、繊細な大人なことに、おどろいた。おかしいとか、ふしぎとか、ヤバいとか、変とか、キチガイとか、良いとか、いろいろな印象たちに、おどろいた。もう泣いてないのに。 スイカの実を噛んで、聞こえる音を、知ってる。 どこにいっても、変わらないことを、知ってる。 誠実であること。