一年半年ぶりに会った友だちが、自分の家に帰ってしまった。ぼくの家と彼人の家は離れている。快速電車に乗って、尻が痛くなってからもう1時間から2時間くらい耐えれば着くほどの距離。それは遠い。もっと遠くで生きている人もいるけど、すぐ近くにいた数日を思うとなんて遠いんだと笑える。どうしてこんなに遠くで生活してるんだろう? ぼくたちが違う生きものだから? そんなの納得できる理由だと思う? でもどうして「納得」しないといけないように感じるんだろう?

会ってからしばらく、ぼくはぼーっとしてた。市営バスの最後部座席の右端で、友だちの質問に答えずに「ぼー」と音を出すと、友だちが「たやちゃんがぼーっとするなんて……!」と驚き、友だちと一緒に来たきょうだいも笑う。そうか、おれはこのひとといっしょにいるとき、いつも何かを話していた。べらべらと、最近自分が学んだことや働きはじめた法人の事業内容、TFTのこと、友人の話、YouTubeでみている「小さな声で」鳴くことができる犬の動画、長崎バイオパーク公式のInstagramライブ、行きたい場所、遊ぶ予定、やってみたいこと……例えば餃子のひだを作ることとか。それを話すと友人は「じゃあ明日作る?」と言うのでぼくは喜んで「きみ、いいこと言うね」とすぐに決定した。ぼくたちは朝9時前にぼやぼやと目を覚まし、15度を下回る気温をものともせず窓を開ける。開けた窓の先は二日とも快晴だった。ぼくはまだ短パンを履いて寝てるから、朝はとくに寒い。長袖のパジャマを着た友人に「寒くない?」とたずねると、「だいじょうぶ!」と返ってくる。ぼくはそれが、ぼくに遠慮したうそである可能性を考えられない。
トースターでパンを温めて、プロテインにストローを2本さして交替で飲む(「このストローはほらみて、こうやって開くからちゃんと洗えるねん。ストローがおれはすきやから、欲しいなと思って探してて、金属製のストローもあったんやけどそれやと専用のブラシみたいなので洗わなあかんのよね」「ああ、あるなあ、金属製の。見たことある」「そうやろ。でもあんまり専用の道具ってのを増やしたくないからさ。探してたらこれを見つけてん」「ちゃんと洗えるんだねえ。吸えるし」「そう。あとほらシリコンやから持ち運ぶときに小さく畳めて便利」)。餃子の具材を調べて、スーパーに出かけてあれこれ買って、ケーキ屋さんでケーキを買う。友だちは、よく迷う。迷うのはつらくないのかなとぼくは勝手に心配して、あれこれ提案する。友だちはすぐに「そうしよう!」と言う。困ったときの友だちは……黙ってる気がする。困ってるの?とぼくがきくと、友だちは「うーん……」だとか「あとで家でじっくり考えてみる」という。

友人を新幹線の改札口まで見送る。ぼくたちは別れるとき、いつもハグをする。友だちは長いことぼくの手を握り、それをやさしく上下に振る。目線はたいてい握った手に向いていて、たまに「うーん」と言うけど、ほとんどそれ以外口にしない。きょうもそうだった。友人は、別れること、離れなければいけないことに、困ってるのだと思った。でもぼくは、一緒に困ることを選ばない。だってそんなのしたら悲しくなる。ふざけて「またきてね、またきてね、またきてね」といろんな声色で繰り返して(「ほら、おれがいっぱいいるみたい」)、友だちの顔をみると目の周りが赤くなっているので、ぼくはハッとして、離れない手に目線をやる。だけどその手もどこかのきっかけで離れて、そうだ、2回目のハグで離れると、友だちは困った顔で、泣いてるのに笑いながら「またね!」と言って大きく手を振った。ぼくが「またね、座席を立つときに振り返ってね」と言うと友だちは「忘れものしてないか確かめるためだね!」と言う。そしてもう一度、またね!と言って、見えなくなった。ぼくはポケットに手を突っ込むと手が暖かくなるんだと友だちに話したことを、思い出して家に帰る。