居候日記20日目。そろそろ自分のSNSの利用時間を制限したほうが良さそうだ。自分はmastodon(kolectiva.social)とThreadsにアカウントがあって、特にmastodonをメインで使っている。私にとってSNSは、校正されていない他者の言葉を読めるツール、また誰にも遮られることなく自分の書きたいことを書き続けられるツールであり、それを使用している時間はNetflixのオリジナル番組で言われているほど無駄ではなかった。でも今は違う。mastodonをみていると不安になることが増えた。それでも、タイムラインの未読のトゥートをひとつひとつ読まないといけないような気がしてしまう。不安なままでいると、学校のことを思い出してさらに不安になる。これはよくない。
朝、住人に頼まれて固くて長いパンを切る。リズムよく香る小麦の匂いと、左手の指やひらから感じる、ざらざらの生地。風光が口をあけてパンを待っている。住人が「いっしょにコーヒー豆を買いに行って、お昼を外で食べない? それだけで帰ってくるから」というので、いいよと返事をする。住人は「やった」と喜んだ。行き先と目的を具体的に伝えてくれたこと、断られることも想定された誘い方だったことがうれしくて、ぼくもよろこんで、お出かけの前に皿洗いや洗濯物干しや家中に掃除機をかけた。
お昼はココスで、モッツァレラチーズのトマトパスタを食べた。地面を埋めつくす稲穂のグラデーションや、ひたひたの河に突き刺さった枝、山の裾野で草をついばむ鹿を車の窓越しにみた。ほかにもみたけど、指が痺れてきたからもうやめる。
もうほとんど暮れきった黄桃色の外に、住人の車に乗せられて、散歩に出かける。切り絵みたいな松の木のシルエットに、肌がチクチクする。