居候19日目。
朝7時過ぎに起きて、風光と散歩するために慌てて自室から出る。6時半を過ぎるともう日がだいぶ高くなって、日向は歩けないほどになってしまうのだ。ぼくより地面に近いところを歩く生きものはもっと暑いに違いない。
共有スペースに行くとチャっと風光の爪がフローリングにあたる音がして、覚えてないけどぼくはたぶん小さな声で、おはよ、だとか、ぷぷちゃ、だとか、言って風光の顔やおでこをなでる。手のひらや指の腹から、風光の頭蓋骨を感じる。風光は床にふせて眠たそうにしてるけど、そうこうしてるうちに日向はどんどん拡がる。ぼくはエアコンの電源を入れて、散歩の支度をする。
外に出ると、涼しい匂いの風が鼻にはいっておどろいた。だけどそんなわけない、と思いながら立ち止まらずに庭を抜ける。2、3年前なら動かずに立ち尽くしてしまうような喜びを、ぼくは「うそだ」と振り払ったのだ。風光がいっしょにいるからかもしれない。ぼくの背の高さや皮膚で感じられる喜びのせいで、風光に苦しい思いをさせてはいけないから。
でもそれだけじゃない。どうしてかはわからないけど、ぼくはなにかの「とりこになる」のを前より恐れてる。それはうそだと、ブレーキをかける力が前より強い。薬のせい? それとも一人暮らしのせい? 原因を探る癖も前よりずいぶんやわらいだ。それをもったいないという誰かの声を遠くにやって、ぼくは庭を走らずに通り過ぎる。

10時ごろ自室に戻って、Duolingoをして眠たくなったのでもう一度眠った。共有スペースで話す住人たちの声が聞こえる。誰かがわたしの部屋の前を通ったり違う部屋のドアを開けたりする音。枕元をごそごそしてiPhoneの画面をタップすると、15時過ぎと表示された。

住人のひとりが夕方、共有スペースで昼寝をするというのに、ぼくに話しかけていつまでも寝る気配がない。ぼくが「ぼくもう2階に行くけどさみしくない?」とその人に訊いたら、「さみしい」と答えたので、ほっとして部屋から布団と本とiPhoneとイヤフォンを持って降りてくる。
ぼくは他者に寄り添うための行動(例えば、いっしょにお昼寝をしたり、食事をしたり、興味のないお出かけについていったりすること)をこのんではしないけど、寄り添いたいという気持ちはある。だけど、相手からそれを望まれないと、ほんとにそれで寄り添うことになるのかわからないとぼくは考えているから、「さみしい?」とか「〜してほしい?」とか相手に訊くことになる。そうやって自分の希望を訊かれて、答えることに抵抗がないひとなら良いけど、どうしても自分の要望を他者に言葉で伝えることに苦手さを感じてるひとに、ぼくは寄り添うことが難しいだろうな。でも、ぼく以外にひとはたくさんいるし、ぼくとできないやりとりは、他のひとや他の生きものとしてもらったらいいんだ。
肌布団を頭までかぶって、風光を撫でるために伸ばしていた腕もパイル生地のなかにしまって、また19時過ぎまで眠った。