言葉にされてない相手の気持ちや、言葉にされてはいるけどほんとうはその言葉の通りではないかもしれない相手の気持ちについて考えること。
わたしはそれが不得意だし、不得意なままでよいと自覚したときから、ますます言葉になっていない他者の気持ちについて想像することをやめてしまった。わたしがどんなに想像しても、その想像がぴったりあってるかなんてわたしには知り得ないから。
私はいつからか、すべての人の気持ちの所在はその当人以外誰も入ることのできない「固有の感覚世界」にあると信じることにした。それをなによりも大切におもうことで、相手より相手の言葉を信じる自分をやめられるかもしれない。私と相手がどんなに似ているように感じても、私と相手は別々なのだとうれしく思い出せるようになれるかもしれない。
だけど、友達は違った。言葉にされていない相手の気持ちを考えて、メッセージをなかなか送れない友達の様子を、電話越しに感じた。もしかしてこれが優しいってことなのかなと思った。ずっと相手のことを考えている。「わからないに決まってるのに」と私は思う。だけど友達は自分がどうしたいかとかより、私に何度も「相手はこう思ってるのかもしれない」と話すのだ。
紅茶の蒸らし時間は表記通りにする。