市野川容孝の『身体/生命』を読んだ。扉がいくつか現れた。
正確には、と続けたいところだけどわたしにはまだそれがどんな素材でどこに開かれているのか、わからない。わかったのはただそれが開くことのできる存在であるということだけ。だから、「現れた」だけでは満足できない。

わたしの脳内に確かにあった「死ぬべき」の理論が、魅力のないものと判断されて消えた。わたしの脳はなんて簡単なんだろう。
わたしにとって、役に立つのは願望でなく義務だ。願望は短期的な欲望の素で、ほとんどがなるべく早く達成されるべき課題(それ意外は妄想)でしかないけど、義務は揺らめいても自主的に消すまで消えない火、行動の指針、判断の基準、存在の前提だ。
これはわたしひとりで獲得したものじゃない。温かい息を感じている。それが嫌じゃない。やっと歩いていけそうな気がする。
きみのことが全然わからなくても、瞳を覗けなくても、濃密な地面をばらばらのまま、たまに並んで歩きたいとおもう。これは、妄想。