『羅小黒戦記』を長兄と観に行った。電車を一駅乗り過ごしたり、病院で敬語を忘れたりしたけど、ちゃんと映画館に着いたし、「女の子なんだから」という医師に「関係ない」と言えた。
良い映画だったんだとおもう。点のまま繋がっていない要素がなかったから。
映画中で明らかにされないことは「説明されないこと」として、説明されないことは「正しいこと」として物語世界に組み込んだ。慣れた作業だった。わたしの住む世界の「当たり前」や「公式」のあり方とまったく同じだから。
いつも「あらかじめ」用意されて消えない板。なにも持たない手から「己」を守るために、なにも持たない手を伸ばさせないように、目が届くかぎりの人間ひとりひとりに渡される板。
眠たいはずなのに、眠れないのは、寝ようとしなかったからかな。
穏健でいることが成熟の証なのかな。急いで走って叫んで死ぬところをみたかもしれないけど、死ぬために走ってたんじゃない。
「考えてみろ」という無限のセリフがいやだった。「とっくに考えたさ」。
ちっぽけってなんて大きいんだろう?
ちいさく体を折り畳んで枯れた葉っぱをつついている。いつのまにか自由には責任がセットになっている。当たり前ですか? もっと小さく、もっと静かにって、口に指を当てた赤っぽい皮膚の人が囁く。
人間なんて嫌だ。嫌だ。よくわからない世界でいつまで生きるんだろう。はやくほんとうの世界に行きたいよ。新世界も普遍も正解もいらないから、ほんとうの世界に行きたい。どこに行ったらほんとうに着く? ことばを捨てたら着く?
6って紫色だよね。6はもともとすきだけど、紫だから憧れも混じったすきだ。紫は赤と青のまぜまぜだから近寄れない。赤と青が混ざるなんて、なかなかできることじゃない。そのままでいるなんてできない。6はそれでも紫色だ。6。